病めるときも健やかなるときも

週末の夜中にホーリーランドを見るべくテレビを付けっぱなしにしていた。
ホーリーランドの前の時間帯に"怒りオヤジ"という番組がやっていて及川奈央が出ていたのもあって視界の端でちょっと気にしていたのだが、今回は浮気グセがどうしても抜けない女の人を出川哲郎が説教していた。
出川は「1人の人を愛しつづけるということがどんなにすばらしいか」を切々と説いて、女の人の方も大方同意していたようだ。
どうやらそもそもこの番組は"オヤジ"に叱られたい人が自ら出演する番組のようで、この番組に出る時点でこの人は「浮気は悪いこと」という自覚があるのだろう。


いつも思うのだが、浮気はなぜそんなにも悪いことということになっているのだろうか。
僕にはどうやら精神構造になんらかの欠陥があるようで、浮気は悪いことという前提をすんなり受け入れることが出来ない。この欠陥が遺伝的なものか教育的なものかはわからないが。
「1人の人を愛しつづけること」というのは別に誰か他の人を好きになることと両立可能な気がしてしまう。


友人の結婚式に招待されたときに、いまさらのようにふとひらめいた。
「あなたは健康なときも病気のときも生涯○○を愛することを誓いますか?」「はい、誓いますっ!!!!」というアレだ。
なぜわざわざ衆人環視の中で神にまで誓わなければならないのかというと、これほど大仰に誓わなければ実行不可能なほど難しいことだからなのだ。
そしてこの誓いに「健康なときも病気のときも」が入っているのは、これが相互扶養の契約だということなのだろう。
それにしても「愛する」という感情について生涯というスパンでコミットするというのはあまりにも現実性が乏しい気がする。
僕が感情について誓えるのはせいぜい「この瞬間あなたは○○を最も愛していますか」くらいまでだ。
思い切ってこれを「あなたは健康なときも病気のときも他の人を愛しているときも、生涯○○と助け合うことを誓いますか?」にしたらかなり感覚とマッチするのだが。


きっとこんなこと言ってるからいつまでも結婚できないんだなあ。