論理と感情は両立します

恋愛や結婚に対するスタンスなどに関して話をすると、「ヒデさんって感情とか無いの?」と言われることがある。
そりゃだれだって感情はあるだろう。
物事を論理的に考えるということと感情を無視するということを同義に考えてしまう人がわりと多い気がする。


発言小町にもこのようなトピックが立っていた。
 合理的論理的に進める人って悩み無いの?
このトビ主さんが考えている"悩む"という行為はどうやら、対応策を模索することなく悶々とするという意味のようだ。
このように考えるのが感情なのであって、論理というのはそれと相反するものであるという考えなのである。
論理で割り切れないのが感情だということだ。
そのように決めてしまったら、もう物事を論理的に解決することは出来ない。


僕は問題を論理で解決するのが好きだが、決して感情が必要無いと考えているわけではない。
そもそも「論理で解決するのが好き」というのすら感情だ。
感情が発生するのは、生き物が生きていく上で都合のよい状況を心地よいと感じるようにプログラムされているためなのだから、感情を満足させること自体が生きていることの目的であると言ってもいい。
問題は、"感情は論理では解決できない"と考えてしまうことなのだ。


例えば何か欲しいが手に入りにくい物があるとする。
「手に入らないのは分かるけど、私は感情の人だからどうしても欲しい!この気持ちは論理ではどうにもならない」と考えて悶々としてしまう人はもうこの問題を解決することは出来ない。
「これが欲しいが、どうすれば手に入るのか。」と考える人の方がそのものを手に入れることができる可能性は高まる。
つまり、論理的に考える人こそ自分の感情をより満足させようとしている人なのだ
また多くの場合感情は定量化でき、例えば金額などに換算できる。
先ほどの例のように何かが欲しいときに、「この気持ちはお金に換算できない」などということは無いのだ。
例えば「犬が飼いたい。お金の問題じゃない」と言っている人でも、「犬を飼うのに一億出せるか」と聞けばほとんどの場合はNOのはずだ。
じゃあ1000万は、100万はと考えていけば、犬を飼うことに対して自分が払ってもいい対価というのは明らかになってくる。
具体的なイメージを持つために、それだけの金額を稼ぐのに必要な労力や同じ金額で可能になるほかの楽しみなどをリストアップしてみるとなお良い。
それらを全て考慮して犬を飼うかどうか決めればいいのだ。
その結果犬を飼わないことに決定しても「やっぱりあきらめきれない」と"悩み"続けるのは単にエネルギーの浪費であって愚か者なのである。


先日ケーブルテレビを解約したところ、全ての民放の写りが劇的に悪くなった。
僕は普段テレビを見ているときはノイズがあってもさほど気にならないしそもそもテレビをあまり見ないのだが、山本梓の出ているテレビ番組だけは全て録画してエンコードして保存しておりこの時はノイズが非常に気になる。
ケーブルテレビを再契約しようかと考えていたが、これによって一ヶ月3800円の費用がかかる。
山本梓の出演する番組は月に10本弱であるので、1本に500円払う計算になる。
500円はテレビ番組1本に払っていい金額だろうかと論理的に考察した結果、録画はあきらめて山本梓のDVDや写真集を買うことにした。



#追記[2005.04.15] この記事にはたくさんのサイトからリンクしていただいて、昨日などは(比喩でなく)普段の100倍ほどのアクセスがありました。
リンクしていただいたサイトは"リンク元"からたどってほぼ全部見させていただきましたが、僕が言い足りなかったところや考えてみなかった切り口からの言及などがたくさんあって参考になりました。
色々な人の意見が聞けるのはやはり楽しいものですね。