お年玉の使い道と効用関数

相変わらずみんなたくさんお年玉もらってるな。
 お年玉2年連続減少、3万7000円余り 京都中信がアンケート
減ってるとはいえ4万近くか。
生意気!
うちは親戚が近所に住んでいないとかそんな理由でお年玉と言うのは高校のころでもせいぜい5千円とかそんなもんだった。
それでもまあ相当嬉しかったけどね。


それにしても金額自体は僕が子供のころに見たのとそんなに変わらない気がする。
と思ったんだけど、実際のところお年玉の金額はそんなに増えてないんだな。
 小学生のお年玉の変化
ここ15年、一旦上がってそのあと下がって結局ほぼ変化なし。
まあ物価もそんなに上がってないから妥当だ。


ところでこの記事によると、

お年玉を預金に回した額の割合が、今年は68%と5年前より10ポイント低下したことが13日、京都中央信用金庫のアンケートで分かった

ということで、みんなお年玉はもらったらすぐに使うという方向に流れて行っているらしい。
もらったお年玉を親に命令されて貯金するという行動には躾としての意味があるわけなので、そういう点でこの風潮は嘆かわしい。
しかしその一方で、もらったお年玉をすぐに使うと言うのは非常に合理的な判断だ。


お金の価値というのは絶対値では決まらない。(ここでいう絶対値とはゼロ点からの距離ではなく、金額そのものという程度の意味の日常的なレトリックである)
ひとつにはもちろん物価で決まるが、それにも増して誰にとってのお金かということが重要だ。
ということで、金額そのものではなくその金額の"嬉しさ"を考える必要がある。
この金額から嬉しさへの変換のようなものを効用関数と呼ぶ。


ある金額をもらったときの嬉しさは、もらったときの経済状態や必要性に大きく支配されている。
貧乏な人や困ってる人は少しの金額でもとても嬉しいし、すでに大金持ちならかなりの大金をもらっても嬉しくない。
僕のように平均的な技術者の場合、例えば一万円をもらったときの嬉しさは小学生から高校生くらいにかけて徐々に減っていく。
大学の時には奨学金とバイト代で生活していたので高校生の頃より苦しかったはずだが、それでも全体で使っていた金額が大きかったので高校生の頃と同じ金額ではあまり喜べなくなっていた。
就職してからは小学生のころに一ヶ月かけて使っていたお金を1日で使うようなことも珍しくなくなったのでお金の相対的な価値は激減し、給料はさほど増えなくても多少の蓄えができていくので同じ金額のありがたさはさらにちょっとづつ減少していく。
退職後には徐々に蓄えを食いつぶしていくのでお金の価値はまた上がり始める。
つまり1万円の嬉しさと年齢の関係は(今後大きな変化が無い限り)次のようになる


ここまで厳密に考えたわけではないが、小学生のときに両親に向かって
「五千円くらいのお金に使いでがあるのは今だけだ。10年経って就職したら五千円にはなんの価値もない。だから今使わせて欲しい」
という主張を行ったことを覚えている。
この非常に論理的な主張は残念ながら却下された。
子供が展開した場合、その論理の妥当性に関わらずへ理屈と呼ばれて一蹴されてしまうものなのだ。