得はしなくてもいいけど損したくない

友人の結婚式ということで京都に来ている。
金曜の夜に新宿発の夜行バスに乗って、土曜の朝5時に京都駅に着いた。
京都ほどの都会なら駅の周りにいろいろあるだろうと下調べもしないで行ったのだけど、実際には駅から見える範囲になにもなかったので駅の中でも比較的風のあたらないあたりに移動して、太陽が昇って街が活動し始めるのを待っていた。
外は雪がちらほらしていたのだけど、そんな中で床にダンボールも敷かないで屋外に寝ている人などを見かけた。どのようにして生命活動を維持しているんだろうか。


だいたいのめぼしをつけて活動を開始したのが午前8時くらいなので、かれこれ3時間ほど寒さに耐えながら立ち上がったり座ったりコーヒーの自販機の前に行ったり直径10cmくらいの白い石と黒い石を両手に持ってカチカチぶつけながら壁に向かってお祈りしている人を眺めたりしていたことになる。
なぜわざわざ新幹線でなく夜行バスに乗ってきてこのような苦行に耐えなければならなかったのかというと、ひとつには夜行バスに乗ってみたかったのだけれど、もうひとつにはお金の節約のためだ。
夜行バスに長時間乗っていること、バスの中で寝ることなどは僕にとってはまったくの苦ではなかったので、京都駅についてからの待ち時間をすごした分がほぼ純粋な苦行の部分であったことになる。
来る前に調べたところ、新幹線を使うのと夜行バスを使うのではだいたい一万円ほどの開きがあった。
つまり、夜明け前の京都駅で寒さに震えながらすごした時間にたいする報酬は時給にして3300円程度であったということだ。
同じように一万円節約できるなら次回も同じ夜行バスに乗ってくるかもしれない。
ところでここで考えたのだが、もし「3300円あげるから朝5時に雪の降る駅で一時間過ごせ」と言われたら行かないで布団で寝ているような気がしてきた。
どちらも同じ程度の労力に対して同じ程度の対価が得られる気がするのだけれど、なぜこの差が出てくるのだろうか。


決定を行う際に、人は利益を得られるかもしれない場合と損するかもしれない場合では振る舞いが違うことが分かっているようだ。
損失回避の法則と反転効果

80%の確率で100万円がもらえるが20%の確率で何ももらえない場合と、確実にもらえる80万円との比較では、確実な80万円を選択するのがリスク回避的で合理的な人間とされる。しかし、いざ損失となると話は別で、確実な80万円の損と、80%の確率で100万円を損するが20%の確率で何も損しない場合との比較では、確実な損よりも賭けるほうを選択しがちである。このように利益の関係する場合はリスク回避的でも損失の関係する場合はリスク愛好的になることを行動ファイナンスの分野では「反転効果」と呼んでいる。

言い換えると、人は利益を得るときにはより大きな利益を得ようと特にがんばることはしないが、損害を食い止めるためなら多少の悪あがきをするということになる、のかなあ。
実際には金額の多寡によってもみんなが取りやすいストラテジは変わってくるだろうし、必ずしもすべての場合には当てはまらないとは思う。
特に金額が極端に大きくなった場合、効用関数の特殊な境界値を越えてしまって期待値がそもまま判断基準になりにくいことが考えられる。(例えば、ほぼ確実に300円を失ってもいいからほとんどゼロの確率で1億円手に入れたいというのが宝くじを買う人がとっているストラテジーだ)
とはいえ、今もっている金額全体から見て「失う3300円」と「得られる3300円」はほぼ同等の効用を持っていると近似して差し支えはないはずなのだ。
それでも選択するストラテジに違いが生じると言うのはなかなかに面白い。
僕としてはなんらかの別の説明が思いつかないかぎり、この二つは同じ価値を持っていると考えられるようになりたい。


ちなみに今回の夜行バスに乗ると言う選択に対して、周りの反応は一律に「いい年なんだしお金に困ってるわけでもないんだから夜行バスなんかに乗らなくても」というものだった。
夜行バスに乗るのが楽しみだと考えてしまうのは僕だけで、世間では夜行バスはいやなものと決定しているようだ。