お金はいくらあっても足りない

明日はうちの会社もいよいよボーナス無事支給の予定らしい。
ボーナスで何を買うなどと話している人もいるし、ボーナス払いでもうほとんど使ってしまったという人もいる。
このような人達のメンタリティというのにはいつもながらサッパリ共感できない。


僕の感覚では買い物というのは必要なものを必要なときに買えばいいものだ。
全ての買い物はなにがどんな目的で必要であってそれに対する最小必要限はなにかを考えてから、最終的に対価格効果を考慮して選択している。
例えば僕が車を買うときにはまず使用目的を考える。
次に車両の価格・想定される使用年数・過去の経験から来る故障回数と修理費用・ガソリン代・保険・車検などを考慮して車に1日乗ることに対して支払うことになる金額を計算する。
そして、通勤を自転車で行うことと比較して自動車で通える「ありがたさ」に払ってもいい1日あたりの金額と比較することによって車両本体に出してもいい金額を決定する。
以前にカーナビの購入を検討したときは、一度道に迷うたびにカーナビに2万円づつ支払って助けてもらう計算になったので購入を断念した。
実際に道に迷ったときに、1万円払えば本道に戻る道を教えてやると言われても支払う人はほとんどいないはずだ。


しかし大多数の人の買い物に対するスタンスは僕とはちょっとずれている。
これまで観察した範囲では、かなりの人が

  • 自分が使える金額の上限を決定する
  • 上限いっぱいまでで買える最大限に高いものを購入する

というストラテジを取っている。
このようなストラテジを取る人は収入がいくらあっても満足することが無い。
満足感の基準が「持っているお金を使い切るかどうか」だからだ。
実際のとこ僕の生活レベルというのは今でも、生活費を全額バイトで稼いでいた学生の頃と大差ない。もらった給料の半分くらいで生活している。
これで特に欲しいものを我慢しているということはまったく無い。
しかし僕と同じ給料をもらいながら10年も働いていて貯金ゼロなどという人が周りにはザラにいるのだ。


とはいえ給料日やボーナス支給日に散財するというのはサラリーマンの哀愁が漂う一種の様式美を含んでいるのも事実。
僕の親しい理系の友人の間でも、明日はこんな会話が交わされることが予想される。
「ボーナスも出たことだし、パーッと何かいいものでも食べに行こうぜ!」
 「いいねえ。パーッと行こう」
   「で、なに食べる?」
  「せっかくボーナス出たから普段食べないようなものにしよう」
「じゃあパーッとびっくりドンキーか」
 「びっくりドンキーだな」
   「じゃあそれで」
やっぱり実際に散財するのはイヤなのである。