バカだから血液型性格判断を信じているのである

先日友人に知人に「お前のブログは血液型占いの話ばかり書いてあるな」と言われたので、血液型関係の話を避けていた。
しかし、試しに検索してみたら血液型差別批判の投稿は1度だけ、あと2,3行で軽く触れたことが2度ほどのようだ。
ということで気にしないで書いてみることにする。


ここ最近世間では血液型差別に対する批判活動が活発になってきた。

このような動きがあるということはうれしいことではない。
血液型差別がそれほど社会に浸透してしまったということだからである。
まったく部落差別と同じようになってきてしまった。
一旦社会に組み込まれてしまったものは無かった状態には戻せないのだ。


血液型による性格判断の話には3つのフラストレーションがある。
 1.根拠の無いものを無批判に信じる人が多いこと
 2.統計と個別のケースを区別できない人が多いこと
 3.社会的な差別構造になってしまっていること
理系としてはもう1と2の時点でイライラするのだが、前述の放送倫理番組向上機構の勧告も主に3の論点で行われている。
例えばTBSの対応はこれからはどの血液型についても長所を強調するようにしますというものだった。
まさに隔靴掻痒とはこのことだ。


Simple - 憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記はいつも読ませてもらっている非常に面白いテキストサイトだ。
今回このサイトにバカだから血液型性格判断を信じているわけではない という記事が載っていた。
その中で発言小町のことが触れられている。
発言小町のこの記事は僕も読んだが、いつもの小町の展開通り肯定も否定も身の回りの少数のサンプルを元にしている。
このトピックを読んでいて覚える苛立ちは前述のフラストレーションの2に相当する。
また、バカだから...の記事の最後では(頭がいいと思われる)国立大学生ですら4割が血液型による性格判断を信じているというデータを元にして

血液型による性格・相性判断を信じる心は、無知や教育の欠如によって生まれるのではない

と結論している。
しかし、僕はこの数字をそういう風には読まない。
この数字の見方は国立大に通っているような人の中にも無知で教育が足りない人が多数存在するということだと思う。
以前に「全体の80%強の人が血液型による性格診断は当たっているように思うと考えている」という記事を読んだ記憶があるのだが、元記事を発見できなかった。
代わりに雑誌ananの読者の97%は血液型による性格診断を信じているという話を参照してお茶を濁しておく。
国立大生、一般の人全体、ananの読者のどれがより教育を受けていてどれがより無知な人かの判断はまあ、えー、ゴホッゴホッ。
トートロジーのようになってしまうが、血液型による性格判断なんかを信じてしまう人のことを無知で思考力のない人と呼ぶのだ。
もっとも、どれだけ教育すればこのような人たちを救えるのかというと難しいところで、そういう意味では「十分な教育」というのは存在しないのかもしれない。
人間は見たい物しか見ることができないとはよく言われることだが、そこを可能な限り克服して理性で判断するようにしていくよう努力してこそ理系だ。