概念は文脈の積み重ねによって形成される

今日というか昨日になってしまったが、廊下を歩いていると後輩に呼び止められた。
「あの、ヒデさんいいですか。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 「え、あ、うん。なに?」
「えーとですね、『萌え』ってなんですか?」
どうやらテレビでアキバ系の女の子がそのような言葉を連発していたとのこと。
社内でそういうことを知ってそうなのは僕と判断されたらしいので、これは喜んでいいんでしょうか。


この質問に対してまず僕が試みた説明は
「好きっていうか『かわいい!!』って言うような感じなんだよ」
というものだったが、どうやら今ひとつピンとこなかったらしい。
ここで30過ぎた男が足をばたばたさせて『かわいい!!』というジェスチャーをしているところは想像していただく必要が無い。


萌えという言葉に定義らしい定義があたえにくいのは自然発生的に形成された概念だからだ。
ある言葉にみんなが共通の認識を示すのは、共通の文脈の流れの中でその言葉に対する概念が徐々に形成されていくからだ。
萌えと言う言葉の真の意味は、それが育ってきた共通の社会的背景を経験したものにしか理解できない。
「かわいい」というような意味だと説明しても、では「かわいい」とはなにが違うのかということになってしまう。
概念的に違うものを別の言葉で説明しても、それはその言葉の本質をゆがめてしまうことになる場合が多いのだ。


概念の形成がこのように文脈によってしまっているために、言葉の意味と言うのは時間の経過とともに変わって行ってしまうことも多い。
20年近く前、「ギャルゲー」という言葉は「ゲームの本質と関係ないところで、主人公を女の子にするなどして安易に客寄せの効果を狙ったゲーム」という意味だった。
特にゲームそのものがつまらないけど操作キャラが女の子なアクションゲームなどを小ばかにして使われることが多かった気がする。
現在ではギャルゲーというのは恋愛シミュレーションエロゲーのことを指している。


以上述べてきたように言語の概念形成というのは文脈に依存している。
逆にいえば、正しい理解を促すには例示によって文脈を与えてやるのがよい。
数学でまず定義を与えた後で練習問題をやらせるのは、この文脈を与えてやるというのが目的である。


このような考えをふまえて、僕は質問してきた後輩に文脈を与えることにより理解を促すことにした。
「『ゆうこりん萌え』とか『メガネッ娘萌え萌え』とかそういう感じなんだよ」
 「ああ、なんとなくわかりました」