僕と付き合ってください

僕が大好きな発言小町は今日もどうしようもないやりとりでグダグダなわけだけど、ここを読んでると理系の僕には理解しがたい挙動を示す人たちがたくさんいる。
そのうちのひとつに「彼氏(または彼女)のことがイヤでイヤでしょうがない人」というのがいる。
僕の感覚からすると、異性とお付き合いすると言うのは相手と一緒にいることが楽しいからであって我慢しながら付き合うというのは本末転倒な気がする。
付き合っているかいないかというのはある人との距離が近いか遠いかと言うあいまいな状態を漫然と指していると思っていたんだけど、小町でもよく「これって付き合っていることになるんでしょうか」という質問が飛び出てくることからもわかるように、付き合っているかどうかという客観的な指標がないと満足できない人が割と多いようだ。


僕は、人との関係と言うのは不安定なもので付き合っているというのはたまたま同じ方向に歩いているようなものだという程度に考えている。
でも周りを見渡すと僕は極端な少数派で、多くの人はこれからも「同じ方向に歩いていきます」という確約を求めている。
このために世間ではいわゆるお付き合いを始めるときには「僕と付き合ってください」「ええ、よろこんで」という儀式が行われる。
これが無いと不安になって小町に質問してしまうわけだ。


この儀式は契約であって世間の常識では「付き合っている」ことによって

  • 他の異性とは必要以上に親しくならない
  • 明示的に契約が切れたと双方が納得しない限り契約が持続する

ことが求められている。
ソフトウェア工学的に言えばこの宣言はセマフォであるということになる。
また、人によってはこの契約条件に

  • 食事はおごってくれる
  • イベントは一緒にお祝いしてくれる
  • 将来結婚してくれる

などを暗黙のうちに期待しているので、ここらへんは確認しておかないと争いの元になる。


僕は長年の訓練によって理性が感情を凌駕してしまったので、恋愛には排他性と永続性を求めていない。
一般的な言い方をするなら僕は独占欲ややきもちというものがまったくないし、だれかがずっと僕のことを好きだという期待は出来ないということが納得できている。
こういう言い方をすると周りの女の子に「あなたは本当の恋愛をしたことがないから独占したいとか思わないのよ」と言われるが、そういう人は社会とか環境によって刷り込まれてしまったものに大して理性的に批判を加えてみたことがあるのかはなはだ疑問だ。
僕だって小学生くらいの頃は美香ちゃんが大好きでしょうがなかったころがあったが、このころはまだ理性で物を考える訓練が出来ていなかった。
まあ12歳まではまだ人間じゃないからしょうがない。
幸いなことに、僕に対して「私と付き合ってください」などというピントの外れたことを言いだす女の子と言うのは1人もいない。
僕の恋愛に対するこのようなスタンスが周りにきちんと理解されている証拠だ。