超能力病院

なにげなくつけたテレビで超能力番組をやっていた。
番組表で確認したところ世界!超マネー研究所という番組だった。
普段は色々なものをお金の観点から見るという内容らしく、今回はたまたまロシアにあるという超能力で治療する病院まで行くといくらかかるかという内容だったようだ。
のだけど、この超能力病院での治療というのがもうなんというか(;´Д`)
レポーターの女の子に向かってダウジングロッドを持ってぐるぐる回しただけで「あなたはいま健康ですが将来○○と○○が悪くなります」とか言うのが診断なのだ。
レポーターの女の子が現在のところ特に健康を害していないのは見れば分かるだろう。
そしてこの”将来の疾患”に対して治療薬と称して”パワーを込めた水”を処方していた。
これじゃ心霊治療だ。


番組によると、この超能力病院で超能力医師になるには正式に医師免許を取った上でさらに面接で超能力を見せないといけないのだそうだ。
番組では超能力面接の様子も放送していて、1人は催眠術を披露していた。
そして二人目は砕いたガラス瓶の破片の上に乗って、「足の裏が切れません」というのを披露していた。
さらにこの二人目がレポーターの女の子に超能力を注入すると、なんとレポーターの女の子もガラス瓶の破片に乗れてしまったのだ。
「これはすばらしい!この力を使えば麻酔無しで外科手術が行えるぞ!」ということだった。


えーとねえ、これって超能力なんかなくても乗れるんじゃ無いですかね。
そもそも足の裏の皮というのはけっこう厚い。
僕も先日の昼休みに特訓をしていて足の裏の皮が剥けたんだが、それこそスルメのようにビーフジャーキーのように分厚かった。
そして、画面内では比較的厚手のビンの破片をビッシリと、しかも何重にも敷き詰めていた。
これを全体に均一に敷き詰めると、おおよその高さが揃う。
また破片のだいたい半分は曲面の凸側を上にしているので、足の裏は体重を支えるに十分な接地面積が確保される。
ということで全体としては、尖った針の上に乗っているというよりはところどころに出っ張りがあるデコボコの上に立っている程度のはずだ。
多少尖った部分があっても、5mmやそこらなら十分に厚い足の裏の皮が吸収してしまうことは、足の裏をボールペンの先なんかでつついてみれば明らか。
こんなんエスパー伊東の超人芸にすらならない。


この番組はその他も含めて今回は全体にインチキの塊だったわけだけど、そのままチャンネルつけっぱなしにしておいたら続けて世界一受けたい授業という番組が始まった。
こっちでは安斎育郎先生の「だましの心理学」ということで、心霊治療やインチキ統計、疑似科学なんかに騙されないようにという啓蒙をやっていた。
まあなんていうかナイスフォロー。

科学的にあり得ぬ設定?

私立中入試算数 問題文に問題あり あり得ぬ設定多数
ということで、まあ数学の問題の問題文に非科学的な記述が混ざっていると、まあこういうわけらしい。
これが読んでみるとなんか、いろいろな話がごっちゃになっているみたいなのだ。
ここに例示されている3つを並べても、

  1. 食塩水を題材にした問題で、食塩水の濃度は100度の場合で28・2%が最大、にもかかわらず、食塩水の濃度を30%以上と設定している問題
  2. 「偶数匹の生物Aは、一晩で半分の数の生物Bに変身する」など不必要に非科学的な例を挙げる問題
  3. 出題の条件に合うように正六角形を折ると、頂点は他の辺には付かないため求める角が存在しなくなり

となっている。
1の食塩の問題は問題の本質と関係ない部分での設定が現実に反する例だ。数学の問題としての本質には関係ない。
2の生物の問題は変な例え話を使っているというだけで、科学的とか非科学的とか言うような問題ではない。
3の六角形の問題は作図不可能な角の角度を求めよと言うことだから、これはもう完全に出題ミスだ。
こんなに質の違うものを並べて、「科学的におかしい」なんていう分かったような分からないような大雑把なラベルを貼ってしまうというのはどうにもセンスが悪いとしか思えない。


今回の例で3はあきらかにまずいというか全然ダメなのはあきらか。
じゃあ1と2はどうなのかというと、数学の問題として成立していると言う点で僕はどっちもセーフだと思う。
そして、セーフだということとは別に食塩の問題のようなものは修正できれば修正したほうが良いと思う。
なぜかというと、こういうところで見た物が中途半端な知識になってしまうことがあるからだ。
例えば人間が歩くスピードに関して、中学の時に算数の問題にあったような時速4㌔とか時速5㌔なんて数字が僕のイメージ形成に寄与してないとは言い切れない感じがする。
自分の持っている全ての知識に関して情報源がなんであったかはっきり分かる人はそういないと思うので、なんとなく本当っぽいウソというのは知識としてはわりと危険なのだ。
そのウソ知識にリアリティがあったりしたらなおさらだ。
なので数学の問題文に出てくる設定も、できるだけ現実に則したものか、さもなくば完全にリアリティの無いものかどちらかにするほうが安全なのではないかと思う。
リアリティの無さという点で2の一晩で半数の別の生物になるというのはOKな気がするんだけど、これでもなんとなく現実と混同しちゃう人とかいるのかなあ。

HDDレコーダの普及でCMの価値下落

NRIから出た〜HDRユーザの過半数がテレビCM80%スキップ、今年の損失総額は約540億円に〜という調査結果をあとでちゃんと読もうと思っていたら、なんか計算のしかたがおかしいという指摘をしている人がいてちょっと話題になっているようだ。
孝好さんという方のニセモノの良心というサイトで、6月2日くらいからの一連の記事がそれだ。
確かにNRIの計算は明らかにおかしい。
じゃあどう計算すれば納得のいく数字が出るのかという点についてはいくつかの考え方があるみたいだが、基本的には「番組として観られている」にも関わらず「CMはスキップされている」ようなケースがどれだけあるかというのが問題なはずだ。


まず前提として、ニセモノの良心さんのところにもあるテレビ広告費2兆500億円という数字は、現在の日本の視聴者の総視聴時間に対して支払われているという点に問題は無いだろう。
チャンネルが平均して5局あるとすると延べの放送時間は120時間。日本人の1日あたりの平均テレビ視聴時間が4時間くらいだったはずなので、放送されている全番組の中で見られていないものは97%くらいあることになる。
2兆500億はこの状態に対して払われているので、「そもそも視聴者に届いていないCMの分の広告費、つまり97%は無駄になっているのではないか」などと考えることには意味が無いはずだ。


また、「現在の調査法では録画分は視聴率に入れられていないから元々関係ない」という主張もあったがそれには賛成できない。
録画番組のCMスキップを機会損失と考えるなら視聴率のことは無視してもおおよその数字を計算することには意味があると思う。


ではこの2兆500億を元に、スキップされている分にかかっている費用を計算するには、
 広告費 x HDDレコーダの普及率 x HDDに録画して視聴される番組の割合 x 平均CMスキップ率
これだけでいいはずだ。
もっともここでは大雑把に、「録画してみる番組とリアルタイムで観る番組の視聴時間の合計はHDDを持っているかどうかに影響されない」と仮定している。
HDDレコーダを持っている人のほうが番組視聴時間が長いという話もあるようだが、これは番組視聴が長い人ほどHDDレコーダを買うということかもしれず、相関はあるが因果関係としてどうなっているかはちょっと不明なのでとりあえず無視する。
また1日4時間の視聴のうち、「HDDに録画して視聴される番組の割合」のデータが無いが、仮に30%くらいと仮定してみる。仮に、ですよ。
すると計算としては
 2兆500億 x 11.9% x 30% x 64% = 468億
あら、だいたいNRIと同じ数字になった。
なんかいろんな人がいろんな考察してるけど、僕が思うにこれ以外に考えるべきファクターは無い気がする。


ちなみにこの数字が540億になると仮定して、「HDDに録画して視聴される番組の割合」を逆算してみると、34.6%になった。
なんかNRIが計算の根拠にしてる「録画消費率」って数字にヤケに近い。
と思って元記事とか色々見返してみたら、

録画消費率34.2%とは、HDRユーザーのテレビ視聴時間のうち、
HDRで録画した分を視聴している時間の割合です。
すなわち時間の概念になります。

とか書いてあるな。すっかり見落としてた。
ああ、録画消費率なんて名前だから録画した番組のうちどれだけ見てるかって意味かと思ってたけど、これはつまり僕が「HDDに録画して視聴される番組の割合」って書いたのと同じものだな。
ってことはNRIの計算であってるじゃん。
言い訳だけど、NRIからの回答メールの分がヘタクソだから斜め読みしたとき意味が分からなかったんですよ。
ってことで、最初にNRIの計算は間違ってるとか書いちゃったけどウソです。NRIがパラメータに変な名前付けるから読み違えてただけで、ちゃんとあってます。多分。
なんかイマイチひねりの無い結論になっちゃったなあ。


もっとも実際には考慮すべきファクターは他にもたくさんある。
リアルタイムで見てる番組は単に垂れ流してるだけど集中して見てるワケじゃないことが多いのに対してHDDに録画してる場合はわざわざ見たいと思ってみているので、集中の度合いはけっこう違うはずだ。そうすると、スキップされてない36%分はリアルタイム視聴より訴求力が高い可能性がある。
また、さっき「相関しか分からない」と書いたが、実際にHDDレコーダを持つと総視聴時間が増えるかもしれない。
ここいらへんは僕個人では調べようが無いので、まああんまり気にしない方向で。

浮く地球儀と安定な平衡点

週末に神田の三省堂書店の地図コーナーに行ったのだが、そこで不思議なものを見た。
「磁石で浮く地球儀」とか書いてあったと思う。

図のような感じで、地球儀の上端に磁石がくっついていてそれがフレームの上半分とくっついているのだ。
最初「どこが浮いてるんだ?」と思ったが、一旦引き剥がして丁寧に近づけていったら途中で「グンッ」という手ごたえと一緒に押しても引いても微妙な手ごたえのある領域が見つかった。
そっと手を離すとまさしく宙に浮いたのだった。
これは不思議だ。


一緒にいた友人に「どう思う?」と聞いてみたところ、「磁力と重力が釣りあってるの?」という返答だった。
これが普通の感覚なのかなあ。
上向きの磁力と下向きの重力が釣り合っているという状態はまず作り出せないはずだ。
なぜかというとその状態は不安定な平衡点だからである。


平衡点というのはつまり釣り合いが取れている点ということだ。
例えばボールをヒモでぶら下げて落ち着いたときに、このボールは平衡点にある。
ボールをちょっと動かしてもそのボールは元の位置に戻ってこようとする復元力が働く。
一方で例えば棒の端にボールをつけて上を向けて立てると、この棒はある地点でバランスが取れる。(ボールをつける必要は無いのだがまあ見た目分かりやすいかと思ったので)
しかしこの棒は、ちょっとでもつつくと倒れてしまい復元力は働かない。復元力が働かないどころか、平衡状態から離れていこうとする力が働いてしまう。

前者を安定な平衡点、後者を不安定な平衡点という。
理系的に言えば、近傍での極大点を不安定な平衡点、極小点を安定な平衡点というということになる。


浮いている地球儀を上に引っ張り揚げる磁力と重力で説明しようとすると、これは不安定な平衡点になってしまう。
まず、釣り合いが取れている点から少しでも磁石に近づけば磁力は強くなり、ますます磁石に引っ張られる。
また、遠ざかれば磁力は弱まりますます重力に引かれて遠ざかることになる。
つまりこの方法では、非常に不安定な平衡点しか作り出せないのだ。


じゃあどうすれば安定な平衡点が作り出せるだろうか。
近づいたときと遠ざかるときの強さの変化ぐあいが異なるように2つの磁石を組み合わせればなんとかなりそうな気がする。
フレームの中心部に斥力を発生する磁石、周辺にリング状に引力を発生する磁石を配置してみるというのはどうだろう。

地球儀をフレームに近づけたときに、中心部に近づくスピードのほうが周辺部に近づく速度より速いので、斥力の強まり方のほうが強くなり一定以上に近づくことは出来なくなるはずだ。
また引力の水平成分は打ち消しあうので、垂直成分だけを考慮すればフレームに近づくと引力はほとんどなくなってしまう。
磁石の強さパラメータなどは自由に決めてよいので、適当に調整しながら引力と斥力それぞれとフレームの距離の関係をグラフにしてみると次のようになった。

引力側の磁石を強めに設定しても、近づくにつれて斥力側が支配的になる事がわかる。
このため地球儀は一定以上フレームに近づくことは出来ない。
つまりこのグラフでは距離8の付近が安定な平衡点となる。


と、ここまで考えたのだがこのモデルでも実は無理がある。
この方法だと、実は斥力を発生する磁石をよけて周辺の引力の磁石にくっついてしまうのだ。
つまりこのモデルは垂直方向だけに安定なので、3次元内で考えたときには安定ではないのだ。


ここらへんでもうひと工夫必要なのだが、なんにも思いつかなかったのでもう降参。
ネット上で色々検索してみたところいくつか説明が見つかったが、どれも同じことが書いてある。
おおむね次のような内容だ。

アーム上部にあるセンサーからの信号を台座部分のマイクロコンピュータが読みとり、電磁石に絶妙なコントロールを行っています。

なんだよそれ!
インチキ!
(`Д´)ノ

金券にてお返しいたします

本日のお昼は某ファミリーレストランに行って来た。
この店は月に二回、第1・3水曜日に行くと食事代の半額分を金券で返還してくれるので、それを狙って行ったわけだ。
我々はお昼ちょっと前に到着したのだが、12時すぎた頃には入り口に行列ができるほど混んできた。
いつもは店内の席が半分も埋まれば御の字なのだが、みんな金券目当てなのである。
みんなあさましいなあ。


一緒に行った職場の同僚が待ってる人たちを見て言った。
「まあしょうがないですよね。半額で食べられるんだから」
それはちょっと違うんじゃないか?と思ったら、別の同僚から突っ込みが入った。
「違うだろ」
「なんでですか?半額返ってくるんですよ?」
ここで僕も割り込む。
「じゃあ例えばさ、お食事代金全額分の金券が返ってきたら無料で食べたことになるの?」
「違うんですか?」
「だってその金券は次回来た時じゃないと使えないわけだろ。例えば1000円の食事して1000円分の金券もらって、次にその金券で1000円分の食事をしたとするよ。合計いくら払っていくら分食べられたか計算してみ」
しばらく考えてから、
「えーと、お金は1000円払って2000円分食べたってことですか?」
「じゃあその場合何パーセント割引きだったことになる?」
「200%?」
(;´Д`)


実際には半額分を金券で返してもらったときの割引率は33%ということになる。
同僚のどうでもいい計算間違いはさておき、金券で返ってきたものをそのまま割引きとして考えることは出来ないということには一見疑問がないように思える。
昔からあちらこちらで「Amazonではただいま○○が10万円の1万円ギフト券還元で実質9万円です!」なんて書き込みを見かけることが多かったが、これも同様な理由で毎回違和感を覚えていた。


さて、さきほどの同僚との会話に最後に僕がこう言った。
「だから金券もらう場合は単なる割引きと違うんだよ。これが半額分現金で返還なら5割引きになるけどな」
言ったあとしばらくしてからちょっと考えてみた。
僕はこの店は比較的利用する。ということはこの金券は僕にとって現金と同じ意味がある。
また、僕はamazonでもしょっちゅう買い物をする。つまりamazonギフト券も僕にとっては現金と同じなのである。
じゃあなぜ現金でもらうと5割引きになるのに金券でもらうと33%引きになるのか?
この本質的な差はなんだろうという点にやっと納得がいったころにはもう日が暮れていた。
思い込みを覆すのはけっこう大変だなあ。

アキバ系

僕は山本梓の出ている番組はかかさず見ているのだが、昨日も週末に録画したテレビ番組を見ていた。
すると、またしてもアキバ系の人がばかにされる番組をやっていた。最近多いなあ。
今回の主旨は、メイド喫茶で本物のグラビアアイドルがウェイトレスをやっていた時のアキバ系の人々の反応を見るというものだった。
このグラビアアイドルに山本梓をもってくるところが微妙なとこだ。

秋葉原マップさんでわりと詳しい番組内容を掲載しているので、興味のある人はそちらを参照のこと。
今回も例によってアキバ系の人たちの奇怪な言動を見たスタジオの人たちが「キモ〜い」などとこき下ろす内容だ。
相変わらずバカにされまくっておるね。
ちなみに中盤のふくよかなアキバ君は嘉陽愛子のファンだと言っていたが、嘉陽愛子山本梓シブスタで一年間共演しているのでおそらく山本梓にも気づいていたに違いない。


ここでアキバ系とは何か考えてみる。
例えば僕はアキバ系なのだろうか。
試しに職場の人に聞いて周ったところ、3,4人にひとりくらいが「完全にアキバ系」と答えてくれた。
一方、「まるでそんなことない」と答えてくれた人の多くはあまり深く付き合っていない人たちだった。
つまり僕は外見からは分かりにくいタイプのアキバ系だということなのだろう。
予想の範囲ではあるが、若干残念な結果だ。
ここで「残念な結果だ」と思ってしまうところがけっこうポイントで、つまり僕自身もアキバ系というのはマズい人たちだと考えているということになる。
実際のところ「○○君って渋谷系だね」と言われたら嬉しいかどうかは人によると思うが、「○○君ってアキバ系だね」と言われたらまず間違いなく残念なはずだ。


僕が考えるに、アキバ系には弱い意味でのアキバ系と強い意味でのアキバ系があるのではないかと思う。
弱い意味でのアキバ系というのは、「アキバ系に分類される趣味を持っている人」のことだ。
僕はこの範疇に入っていると信じたい。
ここでアキバ系の趣味とは、アニメ・漫画・パソコン・ゲーム・コスプレ・ガンダムなどを指す。
そして強い意味でのアキバ系というのは、「アキバ系に分類される趣味以外なにもない人」である。
この範疇の人たちは趣味が価値観の中心にありすぎて、他人の価値観と齟齬をきたしているということに気づいたり対処したりすることが出来ないことが多い。
その結果、他人とのコミュニケーション、ひいては社会生活に重大な問題をきたしている。特に本人がそれを問題だと感じていない場合、傍から見てもあからさまにマズい状態になっているケースもまま見受けられる。


結局のところアキバ系とそうでない人の境界はどこにあるのだろうか。
大雑把にアキバ系の趣味を持っている人ということにしても、たとえば漫画をまるで読まない人というのはあまりいないように思う。
そうすると線引きはけっこう難しくなる感じだ。
少し考えてみたが、次のセルフテストでだいたい区別がつけられる気がするがどうだろうか。

 アキバ系テスト:
 あなたはアキバ系の人がバカにされている番組を見ると、「あそこでバカにされてるのがオレだったらいやだなあ」と思ってしまう。
 → YESの人はアキバ系

発掘!おもいっきりためしてあるある人間学!

FOOD SCIENCEのサイトに面白い記事が載っていた。
 トクホ購入はテレビの健康番組視聴量に依存
トクホというのは特定保健用食品のことだ。
調査によると

その結果、(健康情報)番組を多く視聴する群ほど、食品の健康効果に関する興味が高く、栄養バランスを考えたり、品目を多様に摂取するなど、食生活における自己評価が高くなるという傾向を示した。

ということで、つまり"あるある大事典"を見ている人は自分は健康に気を使っていると思っているということだ。
この自己評価というところがポイントで、これはどうやら実際には、本人が思っているだけということのようだ。
というのも、同じ調査で

トクホマークについての意味を尋ねたところ、健康番組の視聴量が増えるほどに正解率が低くなるという、逆相関を示したという。

という結果が出ているのだ。
と言っても僕も「健康増進なんかにある程度の効果があると表示することを厚生労働省が認可した食べ物」というくらいの認識だが。
ここに載ってるのが正確な定義っぽい。
たったこれだけの調査内容で断定はしにくいが、健康番組などを見ている層は「なんとなく自分は健康に気を使っているような気になっているだけ」で「実際には具体的に考えているわけではない」という像が見えてくる気がする。


これは実体験からくる感覚ともよく合致している。
実際に職場で昼ご飯を食べているときなどに、あるある大事典のようなものを見て「これは○○にいいんだよ」と言う人がいる。
このような人に「具体的にどのくらい取ると効果があってそれはどのような理由によるものか」と聞いてもたいてい答えられない。この人にとってはテレビで見た時点で完結してしまっているからだ。
結局こういう番組を見ている人は、自分で調べたり考えたりするのがめんどくさいのだろうと思う。
だから安心感を得るために健康番組を見て、それで多少の根拠のない自信を得ているのだろう。


経験的には、あるある大事典を見ている人は心霊写真や血液型性格診断や風水や厄年を信じていて発言小町で悩み相談をしているような気がするが、だれか調査してください。